UTS国際教育センターは1971年の創立以来、 旅と学びを中心に、世界と日本の文化交流を育み続けてきました。 ここではUTSの歩みを12回に分けてご紹介していきます。 毎月10,25日コンテンツを随時更新していく予定です。 お楽しみに!
ウオルシ博士は、SIS幹部候補生としての研修を兼ねて、自分と共にヨーロッパへ来てみないかと池野を誘う。書物でしか見聞きしたことのないヨーロッパを実際訪れてみたいと考えていた池野は、その申し出に応じた。数ヶ月後、ウオルシ博士からSIS日本代表の研修生として受け入れるという連絡が入る。また池野のもとには、研修手当てとは別途に研修期間中の宿泊費を全額SISが支払うという招聘状がスウェーデン本部より届いた。
まだ大学生の池野にとって、そんな話が持ち込まれることは半信 半疑であったが、ウオルシ博士の指示に従い5月に日本を発った。 当時、ヨーロッパ旅行といえば、2週間くらいかけてヨーロッパへ向 かうシベリア鉄道の旅と相場が決まっていた。だが行く直前、アエロ フロートがモスクワ経由の格安航空券を売り出した。費用はシベリア 鉄道と同額ながら、わずか10数時間でロンドンに行ける事となった。 1週間のロンドン滞在の後、1ヶ月間ほどフランクフルトでSIS幹部候補生として研修を受けながら暮らし、次に2週間、本部のスウェーデンにて、SIS代表のお宅でホームステイしながら戦略的に考える研修を受けた。また代表の案内でイングランド南東部、SISの支部のある約10都市を訪れ、最後に英国の有名避暑地、トーキーにて1ヶ月間、英語研修に来ているヨーロッパの学生の世話をした。
東京で育った池野はそれまで一人暮らしをしたことがなく、外国で暮らしたこともなかった。そのような人間が、いきなり日本人がいない環境に身をおき、会社経営や戦略について考えることを求められ、ヨーロッパ人から日本に関するありとあらゆる質問に答えたということは、池野にとって非常に貴重な体験となった。なにせトーキーの町の大通りを歩いていると、通行人が一斉に池野に目を向ける。トーキーの町では生まれて初めて東洋人に会ったと、英国人は言われたこともあったくらいだ。 研修中にヨーロッパ人の様々な質問に答えながら、池野は日本という国について考え続けた。またヨーロッパの人々との交流を深める中で、敗戦からコンプレックスのあったアメリカという国を角度で分析し、諸外国とのつきあいを学んだという。
日本で法人組織を立ち上げるにあたっては、本部同様非営利団体という形をとった。当時SISアメリカ非営利団体としてボストンを中心に活動していたことから、この形態が日本人には受け入れやすいと判断したためである。実際、小額の資金ではできることは限られている。そこで池野の実家の応接間を事務所に改造し、企画を練って秋にパンフレットを完成させ、営業を開始した。 これが、UTSの全身、SIS日本支部が産声をあげた瞬間である。